田舎暮らしの小さな非日常 音楽のサロン

2022-11-29 15:47

11月初旬の週末、’秋のサロン・音楽とお茶を楽しむ昼下がり’と題して、アトリエ・カフェ・PI・PI・でささやかなサロンを開いた。クラリネット、キィボード、そして、ヴィオラの優しい響きが、部屋いっぱいに広がった。クラリネットの菊池さん、キィボードの濱田さん、そしてヴィオラの梶原さんは、手弁当で演奏を担当してくださった。3人の美しい花に加え、さらに、彼女たちのご友人である、二宮美桃園さんが、ゴージャスな花を添えてくださり、会場は華やかな雰囲気に包まれた。
田舎の小さな町や村に住む人々にとって、都会のように、日常的に音楽や映画、イヴェント、舞台などの催しがあるわけでなく、地方公演などがあっても中々見に行くことは難しい。もちろん、都会のプロのイヴェントのように、彼女たちは著名なアーティストでもなく、その筋の人たちに評価される機会があった演奏者ではないけれど、私は時々思う。巷にこんな素晴らしいアーティストがいるんだと。彼女たちだけでなく、そうした人々の演奏や芸術に出会うことがあり、驚かされることが多々ある。こんな小さな村の、目立たぬカフェで、ちょっぴり非日常を楽しめるのは、田舎ならではの、何か無償の自然の贈り物のように思える。次回はもっともっと、なかなか家から出られないおばちゃんやおっちゃんにも体験して頂きたいと思う。



初秋の小田深山渓谷 蒼い四国

2022-10-29 18:43

10月の中旬、旬の柿を求めて、小田深山方面に向かった。内子の道の駅、からりから、久万高原方面への道をたどり、道の駅、せせらぎの里から、国道52号線へ入り、くねくねとした道をひたすら、山に向かって走る。今回のドライブは二つの目的があった。一つは昨年はコロナの影響や、時期的に遅かったこともあって残念したが、国道211号線沿いにバス停のように、設置され柿の無人の駅(?)ではなく、無人の市場で100円で売られている少々難あり、つまり、農家のかたが、市場に出さないハネの柿を買うため。2,3年前までは、たくさんの柿が、無人の市場で売られていたが、残念ながら、ほとんど姿を消していた。最近のニュースで、なんとなく聞いていたが、たった100円の柿を、お金を入れずに持って行ってしまう人たちが増えて、農家の方たちが辞めてしまったという。とても悲しい事実を目の当たりにした思いだった。
そして、もう一つの目的が、紅葉の小田深山渓谷へのドライブ。小田深山は海抜750mから、1560mに位置する国有林地の中にあり、県立自然公園四国カルスト圏内に位置するという。52号線に入り、杉の林立した道をどんどんと高度を上げていく。登りきったところが小田スキー場。そして、ここから下ってゆく。




小田深山は、四国各地に伝わる例文にもれず、源平屋島の戦いに敗れた平家の落ち武者たちが難を逃れて、隠棲したという伝説があるという。明治の廃藩置県で、小田深山は官山という地区になり、戸数は13戸。当時は、‛木地師’という、木材加工の器などを作ることを生業としている人々が中心だったという。昭和なかば頃は、150世帯330人ほどが住んでおり、小学校には60人ほどの児童が通っていたそうだ。(小田深山ガイドブックより)。スキー場から下って行くと、途中に小学校跡があった。小田深山ネイチャーセンターとなっていたが、かつてここに子供たちが学んでいたのではないかと想像する。



小田深山渓谷の遊歩道は、渓谷に沿って、続いていたが、おそらく9月の台風での影響で途中から行きどまりになっていた。紅葉は、まだほんのり染まった、乙女のようにちょっぴり恥じらい、ささやかな彩をみせていた。
渓谷の水の流れにうっとりしながら、爽やかな秋の空気と風を体いっぱいに受ける。まだ、少し早いせいもあり、また、平日のせいもあって、行楽客はわずかで、みなさん、お弁当を持って河原で寛いでいた。







蒼い四国とキャッチフレーズで見ることがあるが、日本は世界の中で島で、四国は日本の中でさらに島であることから、蒼い四国の蒼は島を取り囲む海の色、海に囲まれた青い四国と思っていた。松山空港から、リムジンバスで八幡浜に向かうとき感じたことだが、山また山、美しい緑の山々が高速道路沿いにずっと続いて八幡浜まで海を見ることはなかった。そう、四国のほとんど、もちろん日本のほとんどが山なのだと実感する。小田深山に限らず、四国カルスト、面河渓国他、美しい景勝地がたくさんあるが、ほとんど山の中である。私は、佐田岬半島という、一種特殊な地形の真ん中に生まれ、わずか600mほどで、宇和海から瀬戸内海へ横断でき、また、山頂の道路からは同時に見ることができる。海が目の前にあるのが当たり前のような日々を送ってきた。そして、海に育った人々の多くが、山にあこがれる反面、海の解放感がなければ圧迫感を感じる。住む場所、そして、地形は私たちの生活、大げさに言えば人生に大きな影響を及ぼす、と久々のドライブで、ちょっぴり感じたことだった。

宇和海に伸びる岬、諏訪崎へ

2022-08-22 11:25

8月初旬、帰省した姉たちと思い立って諏訪崎にでかけた。八幡浜から宇和海に伸びる約3kmの岬。7年ほど前に、友人に誘われ途中まで歩いたことがあったことを思い出した。その時は、体力が続かず途中で引き返してしまったことを後悔する。諏訪崎の駐車場までは毎年ミカン収穫の季節に行っている。友人のミカン農家のミカン畑が、駐車場から、南側の斜面に広がり、収穫の手伝いをするために。その都度、その先まで行ってみたいとは思ったものの、とても体力も気力をなかった。
観光案内によれば、諏訪崎は、日本の森林浴の森100選、そして、四国の自然100選に指定されているそうだ。こんな身近にこんな素敵な遊歩道の岬があるのにいつも閑散としている。椿やアジサイの道、野鳥の宝庫としても知られている。
私の友人は、20年ほど前から、子供たちを連れて、野鳥の観測や、自然の散策などで、地元のボランティア団体のイヴェントによく参加したという。今日も定期的に自然や野鳥,草花の観察会が実施されているようだ。
今回初めて先端まで歩いて、その素晴らしさ、その大変さを知ることができた。



諏訪崎の駐車場から、遊歩道に入る。よく清掃され、整備された遊歩道。真夏だというのに木陰が涼しくさわやか。ただ、小さなやぶ蚊に悩まされる。途中展望台があった。お弁当を持ってこなかったことを後悔する。最初の展望台からは南側のミカンの産地、真穴や川上あたりだろうか、小さな町が見える。


さらに遊歩道を進むと二つ目の展望台は、北側にあり、八幡浜港や、佐島、佐田岬が見えてくる。ここからハイライトに入る。ちょっぴりアップダウンを繰り返しながら先に進むと、荒れた急な坂道になった。坂道の上からのパノラマに思わずみんなが叫ぶ!!この急坂を降りれば、帰路は上り坂、ちょっと引きながらも、降りないという選択肢はない。そしてとうとう先端の展望台にたどり着いた。その先に、真っ白な魚霊塔、そして先端に真っ赤な灯台が立っている。絶景!!



私たちの周りに、こんなに素晴らしい観光名所が存在し、商工会など観光課でも紹介しているにも関わらず、どれほどの人が知っているだろう。私も諏訪崎は知っていた。しかし、諏訪崎がこれほど素晴らしい自然と絶景が広がっていることを知ることもなかった。
私の勝手な感想だが、観光課はそれなりに観光推進に努力しているが、肝心なものが足りないと感じる。美しい自然、風景があって、名所があれば観光地として、認知され人が集まると本来ならそうであるかもしれない。しかし、車でしか行けない場所、観光バスも入らない場所、ならば、例えば、週末だけでも定期的に発着する市のマイクロバスなど、気軽に諏訪崎の入り口まで行けるような工夫がほしい。諏訪崎に限らず、車でも細く危険な道路の先にあるなら、交通手段制限を考慮できないだろうか。
不便さはさほど問題ではない。1,2時間バスを待つことなどは、旅行好きの人であればさほど気にしないのではないだろうか。もっとも、人が少ない知る人ぞ知る絶景!としては私は素敵だと思う?!

アトリエ・カフェ PiPiオープン

2022-04-13 17:53

ブログが長い間更新されませんでしたが、アトリエ・カフェ Pi・Piオープンの準備に多忙を極めていました。オープンをしようと決めたのは2月の立春。2カ月で改装、登録等を進め、4月1日にオープンしました。Uターンで帰省してから、ずっと、この風光明媚な佐田岬に、魅力的な休息の場が少ないことを残念に思っていました。そんな折、1年半前に、店主が病気で休業したレストランが、そのまま、空き店舗状態になっていたものを、店主のご厚意によって、低家賃でお借りできることになりました。ただ言い続けるだけでなく、行動に移すことは、私のポリシーでもあり、地元の方、友人、私の家族他、多くの方々のご協力を得て、オープンすることができました。
メロディーラインのちょうど真ん中あたり、メロディライン(国道197号線)から塩成への下りの三崎方面側、ロケーションとしては最高の位置にあります。
四国で第1号と言われる道の駅、瀬戸農業公園が、この4月で一度クローズされ、郷土館が来年度をめどに建つことになりました。郷土館に併設して道の駅ができ、そして、テナントが入る計画となっています。テナントは、私も長く期待していたカフェやレストランが予定され、同地域に様々な店舗や、施設ができることは、相乗効果を生みだし、人が集まりやすくなります。
カフェふ~ちゃんは、継続していきますが、カフェふ~ちゃんと、コンセプトも客層も異なってくることと思います。PiPiが、地元活性化の一役を担う存在になるよう、努力するつもりです。
現時点での営業は、週末の金・土・日の3日間、11:00-16:00のランチ・カフェタイムです。

Pi・Piオープン後のご報告はまた次回に!!!

 
 
  

古墳時代のロマン 古道笠置峠へ

2021-11-26 13:21

木々の色づきに秋の深まりを感じ始めた10月下旬、古道笠置峠を歩いた。日本の歴史といえば、大和、九州博多、東北等、歴史ロマンを彩る地域が念頭に来るが、私たちの住む、四国の南予の端っこに残された歴史ロマンに新たに感動した。どんな小さな村にも、どんな山深い里、辺鄙な海辺の町や村にも、日本が生まれた時からの歴史が遺されている。ただ,書見にならず、史書に残されず、また人々にも語り継がれていないだけなのだろう。

笠置峠の頂上に紀元4世紀の古墳跡が遺されている。4世紀と言っても中々ピンとこないが、4世紀の日本は、大和大国、卑弥呼の時代から半世紀から1世紀後、史上、古墳時代と呼ばれる時期。イタリアではローマ帝国のコンスタンチヌス帝がキリスト教を認め、東西分裂の最後の頃、中国ではかの有名な三国志のあと、魏によって統一されたと思われた中央が、匈奴などによっていくつかの国が作られた五胡16国時代と呼ばれる時期。

笠置峠の古墳は西南四国最古の前方後円古墳で、当時この一帯を治めていた王(豪族)の古墳であると、説明されている。笠置峠古墳の他にも、この一帯には、5世紀後半頃と言われる岩木赤坂古墳、6~7世紀頃(古墳時代後期)と言われるナルタキ古墳群、7世紀後半と思われる東大谷古墳、7世紀から8世紀頃と思われる西ノ前遺跡等、郷土の歴史ロマンを彷彿させる遺跡、古墳群が遺されていることを私は初めて知った。




こんもりとした古墳の頂上まで、石段を登っていくと王(豪族)の墓がある。

標高約400mの古墳の頂上から、宇和盆地(左)、そしてはるか佐田岬半島(右)が見渡せる。

笠置峠古道は後年になって、九州方面からの四国遍路の巡拝者が、八幡浜に近い札所、明石寺との往来に利用された遍路道であり、江戸時代には、宇和島藩の参勤交代にも利用されたほか、古くから庶民の生活道であったと資料に残されている。
峠への入口は、八幡浜方面からは、釜倉と呼ばれる地域から、西予市宇和方面からは、JR伊予石城駅から徒歩10分ほどの、安養寺に近い登り口から、笠置峠古墳まではいずれも、徒歩約50分から1時間。私たちは八幡浜方面釜倉から登り、宇和安養寺に下山した。



笠置峠の看板が道案内をしてくれるが、これは今日の事。かつてはもっと山深かったに違いない。

籠立場跡は参勤交代の籠を休ませたところだそうだ。石畳がいつの頃かわからないが古人の努力が偲ばれる。


峠の茶屋、峠の地蔵、遍路墓等、江戸後期から大正にかけて、地元の人々が古道を引き継ぎ守ってきた痕跡を見ることができる。

古墳頂上から、宇和への道沿いには、自生する植物の看板が目を引く。下りはさらに急で、宇和盆地が見渡せていたのだろうものい獄、峠を往来する人々の憩いの場として、豊富な水をたたえた大清水や馬頭観音などの旧跡を見ることができる。

日本を代表する奈良や京都の歴史でなくとも、身近な生活圏の歴史をたどることは、自分たちのオリジナルをたどること。あるイタリア人が、故郷を思うことは、自分たちのルーツを大事にすることといった言葉が印象に残っている。