自然の庭 ターシャ・テューダーの世界 

2017-06-25 08:59

ターシャ・テューダーはアメリカの絵本作家。同時にスローライフの元祖と言われ、ナチュラルライフを送るターシャの生き方はガーデナーの憧れであり、世界の人々に知られています。ターシャ・テューダーの世界を彷彿させる自然の庭が、佐田岬半島のほぼ真ん中,高茂に開放されていて、ターシャの生き方に共感するターシャフアン、ガーデナー、そして、自然を草花を愛し、あるいは自然の中にただ身をおいてくつろぎたい人々を惹き付けています。。高茂は芸能人、はるな愛の両親が、開発団の一員として住んでいたことで、近年地元TVでも紹介された地域。大手企業、ダイワハウスグループが全国14箇所に展開するスローライフをスローガンとしたリゾートのひとつで、日本各地からこの地に惹かれた人々が、定住あるいは別荘として、趣向を凝らした家を建てています。
。ここに17年前に神戸から一組のご夫婦が移住してきました。大利ご夫妻です。およそ1000坪の広大な敷地に理想とする家を建て、荒れ地にちかい敷地内の木を切り、草を刈り、少しづつ、現在の自然の庭を作り上げてきました。お二人はターシャ・テューダー同様、自然の営み、自然の力を理解し、その中での暮らしを楽しんでいらっしゃるようです。
様々な人生を生きてる多くの人々が、しばしでも憩いとなることを願い、ここを訪れる人々を心より歓迎して下さっています。さらに、大利夫人の植物の知識は、単なる博識ではなく、地元の呼び名や、それにまつわる話、移住してから歩き回った佐田岬半島の山々や村など話題は多岐に渡り、庭をご案内頂きながら、飽きることなく楽しめます。
自然故に、四季折々、雨の日、晴れの日、朝、夕方と表情を変える庭。ヤマガラや目白、カワラヒワなど、佐田岬の自然を凝縮したような鳥たちの訪れもここならでは。海のイメージの強い佐田岬半島のもう一つの魅力が凝縮されています。
庭はいつでも自由に散策できるよう開放して下さっています。お天気のいい一日、お茶を持ち、あるいはお弁当を持ち、あるいは本を抱えて、東屋で爽やかな風と鳥の声、折々の花や木々を楽しみながら、スローな一日を過ごしてはいかがでしょうか?


まず、ターシャ・テューダーのパネルが出迎え、大利家の自然の庭へアプローチ






佐田岬13里 灯台もと暗し

2017-06-03 17:06

ゴールデンウィ-クのよく晴れた一日、佐田岬灯台へいった。2017年4月1日、佐田岬灯台は点灯100周年を迎えた。
記念事業の一環として、佐田岬灯台のお化粧直し、そして、灯台の下にある小さな島、御籠島を陸続きで行けるようにし、モニュメントを建てた。それを起爆剤として、町は佐田岬、伊方町のプロモーションに邁進している。
佐田岬灯台と対岸の佐賀関、関崎灯台までの距離はわずか13km。20世紀初頭の外国船の来航や日本の海運業が盛んになったことで灯台の必要性が高まり、まずは佐賀関の関崎灯台が1901年に建てられ、そして、1918年に佐田岬灯台が点灯した。佐田岬半島と佐賀関の間の豊予海峡は「速水の瀬戸」と呼ばれ、潮流の速さと岩礁の多いことで航行の難所とされていた。(さだみさきフリークVol.2 町見郷土館発行資料より)灯台の明かりは、航行する船の船乗りにとって、まさに命の光となったことと想像できる。
佐田岬半島の長さは俗に13里と言われ、13里は、現在の測量単位で約52km。三崎港までは国道197号線の快適なドライブコースとなっているが、三崎港から灯台までの道はなかなかの難所。曲がりくねった道が約30分程続く。灯台の駐車場から、灯台まではさらに徒歩約20分の距離。ここがまたまた難所。下って、登って下って登る、ちょっと辛い道。しかし、辛さの中に楽しみもある。木陰の心地よい遊歩道、時折見える、瀬戸内海、太平洋の海、自然の植物など、ちょっとしたご褒美だ。
やがて灯台が見えてくる。灯台への階段を登る。あの、素晴らしいパノラマに出逢うための最後の試練だ。


灯台への遊歩道を歩く




これまでもその感動の為に、何度か足を運んだ。しかし、今回、さらなる感動に出会った。灯台の階段下を右手の道を下っていくと御籠島へと続く。養殖池をまわり、御籠島のスロープを登ると豊予海峡のパノラマが広がり、振り向けば佐田岬灯台が凛とした白亜の姿を現す。よく晴れた日で、豊予海峡の向こうに、九州の佐賀関や別府が見渡せた。点灯100年祭のイヴェントの一つとして’永遠の光’と名付けられたモニュメントが建っている。
しかし、ただ風光明媚を満喫するだけにはさせてくれなかった。御籠島には、第二次世界大戦の爪痕,洞窟式砲台跡があり、砲台のレプリカが置かれている。佐田岬半島の瀬戸内海側の対岸には、呉港があり、戦時中、佐田岬半島の村々の上空を戦闘機が飛んでいったと、父母から聞いたことがある。佐田岬半島の沿岸を中心に、大正末期から昭和初期にかけて,砲台や監視所が作られ、今日もその痕跡を見ることができる。
2016年、観光プロモーションの一環として、日本ロマンチスト協会&日本財団による、’恋する灯台’プロジェクトが開始、佐田岬灯台が日本の21に設定された一つに選ばれた。日本最西端の日本一長い半島の白亜の灯台がロマンに満ちているということだろう。今回は、怠けて行かなかったけれど、灯台の手前に椿山展望台があり、そこは恋人たちのデートコースとして、ハートのオブジェが設置されている。
佐田岬灯台は日本の灯台100選にも選ばれている。1998年(平成10年)11月1日、海上保安庁が、灯台記念日のイヴェントとして、一般から募集した灯台100選である。
佐田岬半島が風光明媚な国立公園であることを、意外と地元のは意識していないのではないだろうか。もっともっと、誇りに思い、もっともっと自慢して、我が村への、我が故郷への想いを高めて欲しい。(資料の一部は、町見郷土館発行のさだみさきフリークVol.2を参照にしています。)


御籠島へ





灯台展望台にて







シラス漁体験と宇和の海

2017-05-26 19:41

五月晴の早朝、しらす漁体験をさせて頂いた。我が村塩成のシラス漁は木嶋水産と田中水産があり、隣村には朝日共販がある。我が家の窓から見える早朝の海は、3社のしらす船で賑わっている。木嶋水産と田中水産は家内工業規模の操業。朝日共販は地元では大企業と言え、日本全国を視野に操業している。
木嶋水産も田中水産も地元のおばちゃん、男たちが手作業で丁寧に,しらすにまじるイカや雑魚を取り除き、外の網で天日干しをし、注文に応じて、送ったり、搬入したり、お客の対応をしている。
今回は、木嶋水産のシラス漁船に乗せて頂いた。
シラス漁は3艘が1セットとなっているという。二艘が網を張り,一艘が、引き上げ運搬を担当する。 
私達が乗せていただいたのは運搬の船。引き上げられたばかりのしらすは透き通っていて感動!何とも言えぬ食欲をそそる。私達が体験させて頂いた日は、ぶと(くらげ)がいっぱい網に入っていて、それを取り除くのに往生していた。
海の男達のファッションもなかなか素敵だ。つなぎはそれぞれ色を変えて、海の青と日焼けした肌によくあっている。無駄のない動き、当たり前かもしれないけれど、息の合った作業が印象的。
しらす船からの佐田岬半島の景色はまさに絶景!。海が太陽の光でキラキラと輝き眩しい。白波が美しい弧を描く。かもめがスターのようにその光景に溶け込んでくる。佐田岬半島の流れるような5月の緑。点在する小さな村。私達の暮らしがここにある。
つい最近まで、しらすが全然獲れなくて、工場の人達は手もちぶたさだった。ここにきて、どんどん獲れて、今度は忙しすぎて皆疲れが顔にでてきているという。シラス漁は4月から11月頃が最盛期だという。塩成のシラス漁は2月は休漁期間としているそうだ。
自然の営みの中で生業することの難しさ。けれど、自然の恵を身体全体で感じ、感謝していることだろう。
私達も同様、彼らの仕事があって、自然の恵を頂けることに、心から感謝したい。







大江 LOVER '江里花だん’’

2017-04-28 22:34

佐田岬半島のほぼ真ん中辺り、瀬戸内海を望む小さな村’大江’があります。佐田岬半島の瀬戸内海側は、リアス式海岸になっていて、深い入江が多く、大江も美しい深い入江の中に斜面に沿って家々が連なっています。
佐田岬半島の太平洋側の海は明るい空色をしていて穏やかなときが多いのにくらべ、瀬戸内海側、大江の入江は、深い緑色をたたえ、ざわざわと波立っていることも多いようですが、なんとも言えぬ美しさです。
海辺の側にN氏ご夫妻の日本家屋の良さをたっぷり味わえる住まいがあります。大江に生まれ育ったN氏の、故郷への想いは彼の生き様そのものです。地域の良さをアピールするために結成された佐田岬見つけ隊、国際交流活動等のほか、退職後は自宅の周りの荒れ地を整備、美化に努め、先代から受け継いだ柑橘畑を手入れして、誰もが気楽に自然を楽しめる場にしたいと、草刈りから山小屋の補修作業、道づくりと何でもこなしていきます。
一方、N氏の妻は、自然の庭作りに余念がない。N氏が海から流木を拾って垣根やオブジェを作り、妻は、草引きに明け暮れる日々。美しい花壇を作るのではなく、できるだけ自然に自生している草花の中を散策できるよう工夫をしている。’江里花だん’と名付けられた庭は、大江の里の意。彼らのこだわりがある。

そして、二人の夢は、ここに誰もが、お弁当を持って、あるいは、自由にお茶を楽しんで、くつろぎのひと時を過ごして頂き、大江の村を知っていただくこと。大江の村の自然の美しさ、豊かさを体感して頂くこと。大江LOVERのご夫婦です。


誰もが自由にここに来てお茶をして欲しい。


手作りの橋。小川が流れる


深い緑色をたたえた瀬戸内海


海からの流木でオブジェを!


木のイスのぬくもりの中でお茶しませんか?


近い将来、ミカン畑の中でカフェOPENを夢見て!





日本のマチュピチュ?人口40人の村

2017-04-17 11:35

3月下旬、雨の一日、友人に’日本のマチュピチュ’に行こう!と誘われ、その村を訪ねた。
日本のマチュピチュ?マチュピチュには行ったことはないけれど、道路沿いの数軒の合間から、上へ上へと、狭い坂道が続く。丹念に美しく積まれた石垣沿いに家々が点在していく。17世帯、40人の人口の村、平磯。佐田岬半島のさきっぽまで数キロの瀬戸内海を望む村。高齢化した村人達は毎日この坂道を登り、各家に戻っていく。村の一番高いところに、お寺があり、村人たちは毎日、交代で水を取り替えにいくという。荷物を運ぶとき、病気をした時、この坂道をどう登っていくのだろうか?と余計な心配をしてしまう。かつてどの村にもみられた村人同士の助け合いが、この村には、脈々と受け継がれているという。柑橘畑の高さを揃え、美しく刈り取られた防風林自主的なゴミの回収40人の村だからこその努力。村を美しく保ち、古人の生活の知恵や、良き風習を残すことで、ネットや口コミでこの村の魅力が伝えられ、今日、外国人も多く訪れているという。ヨーロッパでは、鷲の巣村というサラセンに追われ、山肌に張り付いた、ちょうどこの、平磯のように、地形に合わせた坂道沿いに家々の建つ小さな村々が、今日、多くのツーリストや、芸術家たちの根拠として脚光を浴びている。







佐田岬半島には、特に先端に行くほど、こうした石垣の美しい、しかし、住む人々には日々の生活そのものが、ハードな労働を強いられる村々が多く点在している。不便な事は決してマイナス面だけではないと思う。足腰を鍛え、健康的な生活を心がけ、そして、誰かの助けを必要とすることで、また自分も協力を惜しまず、感謝し、小さな共同体が家族であるよう努力を続け、次の世代へ繋いでいく。